万葉歌の木簡 発見 [心の遠景]
23日朝刊 各新聞に 大きく出ておりました
http://www1.kcn.ne.jp/~uehiro08/contents/parts/105.htm
追記(10月20日)
10月18日 各新聞社に記事にされた 「万葉歌の最古の木簡」 については
↓を クリックしてください
紫香楽宮跡から万葉集の歌が書かれた木簡発見 のニュース
仮名書道で 万葉集の歌をよく書いており 仮名を勉強している人たちにとっても
大きなニュースでした
厚さ1ミリくらいの 木簡の表面を削った「くず」と考えられていたものに
表は 古今和歌集の歌 裏に 万葉集の歌が書かれていたのが 見つかりました
右側には 下の古今集に序の歌が
奈迩波ツ尓佐久夜己能波奈布由己母理伊麻波波流倍等佐久夜己乃波奈
なにはつにさくやこのはなふゆこもりいまははるべとさくやこのはな
左側には 下の万葉集の歌が
あさかやまかげさへみゆるやまのゐのあさきこころをわがおもはなくに
赤い字が が読めた字です
今回発見された木簡は
◎ 万葉仮名で書かれている
◎ 木簡に 万葉集が書かれていたのがはじめて見つかったこと
◎ 紀貫之 の古今和歌集序のなかに
「難波津の歌は 帝の御初なり 安積山の言葉は采女の
たはぶれよりよみて このふた歌はうたの父母のやうにてぞ手習う人のはじめにもしける」
と書かれていて それよりも旧い時代にすでに 裏 と表の木簡に
セットとなって 見つかったこと
歌人の河野裕子さんは 「二つの歌は和歌にとっての『いろは』だったのでしょう
万葉集が編纂される前に流布し 字が書けない人でも口ずさんでいたのでは・・・」
と毎日新聞でおっしゃっています
安積香山の歌は
武田祐吉著の万葉集の本には (巻16 3807の歌)
安積香山 影副所見 山井之 浅心乎吾念莫国
安積香山影さへ見ゆる山の井の浅き心をわが念はなくに
とあり 意味は
安積香山の影もうつって見えるや山の井のように 浅い心を私は思っておりません
と書かれています
この歌を 草かなで書いてみました
10月18日 各新聞社に記事にされた 「万葉歌の最古の木簡」 については
↓を クリックしてください
http://sanesasi.blog.so-net.ne.jp/2008-10-20
新聞に出てましたね。ちゃんと読んでいなかったです。
この時代の人誰もが知っている歌だったのですね。
万葉仮名はとっても難しいです。
by penpen (2008-05-24 21:42)
これは、本当に興味深い資料の発見ですね。
「大和物語」の采女の件りは、奈良の猿沢の池とも係る話しでもあり、様々な意味で、興味を感じています。
和歌は、平安時代から江戸時代に至るまで、貴族や武家の階級にとって、教養そのものであった訳ですが、河野裕子さんの説では、それ以前は更に広範囲の階層にとっても、一つの娯楽でさえあった可能性もあるということになるのでしょうか。それも、また興味深いお話です。
by albireo (2008-05-24 23:34)
私も新聞に出ていたの見ましたよ!
和歌 本当にセンスがいると思います
私は短歌すら出てきません^^;;;
by ハイマン (2008-05-25 17:50)
私もニュースで見ました。
本当にすごい事、です。でも
この時代の人にとっては、いろはだったんですね。
その頃の教養の高さが、思われます。
by ムーミン (2008-05-25 19:11)
漢字ばかりなのによく分かるものですね。
by Baldhead1010 (2008-05-26 06:16)
penpenさま
700年代にすでに 中国からの漢字を使って 五七五の歌が詠まれている事にほんとうに 倭の国は素晴らしいと 感動いたします
albireo さま
久しぶりの 新聞の記事にこころ動かされました
ちょうどお稽古に行く日でしたので 駅の売店で 数紙の新聞を買い求め
万葉仮名について 時間を割いて 話しが出来ました 遠い 遠い昔の
ロマンに ひと時楽しむことが出来ました これからまたどんな 新しい資料が発見されるか 楽しみにしております
ハイマンさま
恋を語るのに すでにこの頃から 歌であったと云われています
歌の上手な人たちの恋は 素晴らしい恋だったでしょうね
ムーミンさま
700年代に 漢字を使って 歌を詠んだということに 紙がなかったから木に
書いたり 土器に書いたりして 食べることだけではなく 心の豊かさを
求めるのは 今と変わらなかったと想いますと 嬉しくなります
Baldhead1010 さま
昔の日本人って 素晴らしかったと 今さらながら 感動いたします
by sanesasi (2008-05-27 10:14)