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復興祈願 余震 方丈記から [こころの近景]

東日本大震災が起きてから40日過ぎました 

被災地の方々 徐々に回復の兆しはみられますが 日が経つにしたがって

かえって心労重くつらい思いをなさっていられることと思います

4月15日 神奈川県伊勢原市の日向薬師において

例年春季例大祭ですが 今年は東北関東大震災における被災地の

一日も早い復興と犠牲になられた方のご冥福を祈願されました

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「辛卯」という今年 やはり辛い年となりました

4月9日の毎日新聞 「余禄」に書かれていた記事に

平家が壇ノ浦で滅びた元暦2(1185)年 京都を襲った大地震では

余震が3ヶ月も続いた と 中山忠親の日記「山槐記」に書かれている 

「地震の事 今日に至る四十七日間一日も止まず 或いは四五度 或いは3度

或いは大動 或いは小動 皆その度ごとに声あり」と

 

鴨長明 の「方丈記」にも地震のことが書かれています

「また 同じころ(1185年)かとよ 

おびただしく大地震(おほなゐ)ふること侍りき

そのさま よのつねならず 山はくづれて河を埋み 海は傾きて 陸地をひたせり 

土裂けて水湧き出で 巌割れて谷にまろび入る なぎさ漕ぐ船は波にただよひ

道行く馬はあしの立ちどをまどはす 都のほとりには 在々所々 堂舎塔廟 

一つとして全からず 或はくづれ 或はたふれぬ 塵灰たちのぼりて 

盛りなる煙の如し 地の動き 家のやぶるる音 雷(いかづち)にことならず 

家の内にをれば 忽ちにひしげなんとす 走り出づれば 地割れ裂く 羽なければ 

空を飛ぶべからず 龍ならばや 雲にも乗らん 恐れのなかに恐るべかりけるは 

只地震なりけりとこそ覚え侍りしか

かく おびただしくふる事は しばしにて止みにしかども 

その余波(なごり)しばしは絶えず よのつね 驚くほどの地震 

二三十度ふらぬ日はなし 十日・ 二十日過ぎにしかば やうやう間遠になりて 

或は四五度 二三度 若は一日まぜ 二三日に一度など 

おほかたその余波(なごり) 三月ばかりや侍りけむ

四大種のなかに 水・火・風はつねに害をなせど 

大地にいたりては異なる変をなさず

昔 斎衡(さいかう 855年)のころとか 

大地震ふりて 東大寺の仏の御首(みぐし)落ちなど いみじき事どもはべりけれど 

なほこの度には如かずとぞ 

すなはちは 人みなあぢきなき事をのべて いささか心の濁りも薄らぐと見えしかど 

月日かさなり 年経にしのちは ことばにかけて言ひ出づる人だになし

・・・・・」

   日本古典文学大系 「方丈記」参照 

 

我が家の近く日向薬師の少し奥のあたりに

昭和13年に 山津波に流されてしまった浄発願寺の

奥の院 跡が残っています 

流され埋もれていた石の像が 掘り起こされて 立てられています

ほとんど頭部無く かわりに石を載せてあります

 

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この場所から やく1キロ下のほうで建替えられた 

「浄發願寺」 文字は 徳川家康の師 寒松の筆 と書かれています

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今年の近くの桜はことのほか美しく感じました 

 テレビの映像でみた 津波で押し倒された桜の枝に咲いた桜の花には

生きる力を与えられたような気がします

 

 

しかし一方で地震酔いの影響でしょうか 美しい花にさへ 

津波を連想してしまいます

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翁草の花

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 漢字とカタカナで書かれている

 「大福光寺本方丈記」の 地震について書いてあるところを書いて見ました

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 変体かなを交えて ↑ と同じ文章を 和綴じ本に書きました (写真は部分)

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  方丈記大地震のこと記されおり余震を[なごり」地震は「なゐ」と  さねさし

 
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