手習い歌 (その二)天地の詞 鳥啼歌ほか [書道]
手習い歌の いろいろ
・天地の歌(詞)
手習い歌の一つで すべての仮名を歌い込んだもの
歌ではないので 天地の詞(ことば)という呼び方の方が適切である
いろは歌が普及する平安後期まで手習い歌として使用されていたとか
星 空 山 川 峰 谷 雲 霧 室 苔 人 犬 上 末
黄流(ゆわ) 猿 生ふせよ 榎の枝を 馴れ居て
・ 大為爾(たいに)の歌
「たい(ゐ)に」は源為憲(?~1011年)が970年に成立させた『口遊(くちずさみ)』
に載っている字母歌である 『口遊』は為憲が、藤原為光(後に太政大臣)の長男
当時七歳だった記憶力抜群の松雄君のために暗誦用に作った
と序文には書かれています
字母は
大為尓伊天奈徒武和礼遠曾支美女須土安佐利
比由久也末之呂乃宇知恵倍留古良
毛波保世与衣不祢加計奴
と書かれていて
これを大正時代になって大矢透が五七調の歌として解読し
世に紹介したのが「たゐに」の歌である
「田居に出で菜積摘む我をぞ君召すと漁り追ひ行く
山城の打酔へる子ら藻葉ほせよえ舟繋けぬ」
・ 雨降歌
本居宣長作 1798年
「雨降れば井堰を越ゆる水分けて安く諸人下り
立ち植えし群苗その稲よ真穂に栄えぬ」
・鳥啼歌
明治三十六年に万朝報という新聞で、新しい いろは歌が募集された
通常のいろは に「ん」を含んだ四十八文字という条件で作成されたもので
一位に 坂本百次郎の歌が選ばれたものである
「鳥啼く声す夢さませ見よ明け渡る東を空色栄えて沖津辺に
帆船むれゐぬ靄の中」
(とりなくこゑすゆめさませみよあけわたるひんがしを
そらいろはえておきつへにほふねむれゐぬもやのなか)
手習い歌ではありませんが
現代の あいうえお は
明治33年(1900年)小学校令施行 ひらがなが制定されたものです
ひらがなの字源
あ 安 い 以 う 宇 え 衣 お 於
か 加 き 幾 く 久 け 計 こ 己
さ 佐 し 之 す 寸 せ 世 そ 曽
た 太 ち 知 つ 川 て 天 と 止
な 菜 に 仁 ぬ 奴 ね 祢 の 乃
は 波 ひ 比 ふ 不 へ 部 ほ 保
ま 末 み 美 む 武 め 女 も 毛
や 也 ゆ 由 よ 与
ら 良 り 利 る 留 れ 礼 ろ 呂
わ 和 ゐ 為 ゑ 恵 を 遠
これ以後 たとえば 「い」 今まで使われていた 伊 ・ 意 ・ 移 などの
文字は「変体仮名」「万葉仮名」と 呼ばれるようになりました
五十音の歌 白秋詞 の部分です