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金沢 和倉の旅から [心の遠景]

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中秋名月の日の朝金沢 和倉 能登方面へ旅して来ました 

29日朝5時ごろ 大きな金色の名月が能登の七尾湾に入りゆくころ 

一筋の光の帯 久しぶりに感深くしました

翌朝   有明のつき ↓

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この日 能登水族館などをめぐってから 有名な加賀屋さんへ


この加賀屋さんの近くに碑がありました


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     虚子の句碑 

「家持の妻恋舟か春の海   虚子」

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佐々木信綱 歌碑

「うた人の国守巡り見し日にも山きよらに海しつかなりけむ


昭和4年5月ごろ信綱が和倉を来遊した際大伴家持を偲んで詠まれました

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家持がこの能登を読んだ歌が万葉集 巻の第十七に



「能登の郡、香島の津より船だちして、熊来の村を射して往きし時作れる歌

()総立(ぶさた)て船木伐るという能登の島山 今日見れば木立繁しも(かむ)びぞ


これは読み下しで書かれていますが もと万葉集は漢字で書かれていました

原文は

能登郡 縦香島津初船 射熊來村往時作歌

登夫佐多氐 船木伎流等伊布 能登乃嶋山 今日見者 許太知之氣思物 伊久代神備曾



まだ かなが生まれていなかった時代です


かなが生まれてから 和歌として読みやすく書かれるようになりました



平安中期に完成されたかな文字は 優雅 典麗 流れる文字の線にふくまれる強い力 内面の深さ 何よりも品格の高さがあり 日本の文化の財産であり このかなを作り上げたことによって世界に誇る素晴らしい源氏物語や徒然草などが生まれました  

平安時代の高野切れなどの書の美しさはもうそのときに完成されたようだといわれています


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