吹筆會展(2022年)のご報告 [書道]
先人の書は 日比野五鳳先生の古筆のようなお軸作品
故郷やどちらを見ても山笑ふ 子規句
福地桂玉先生作品
福衆海無量 禅語
のどかさに寝てしまひけり草の上 東洋城句
室生寺の貞観佛はおほらかに青葉若葉の中にほほゑむ 桂之助
矢部恵子先生作品
この水のみなもと遠くほのぼのし馬酔木 の花も咲きそめぬらむ 白秋
会員作品
友情出品作品
会期中 吹筆会展の「吹筆」の読み方をきかれることがありました。
良寛の草堂集の詩から 吹筆をいただき「すいひつ」と読みます
文字の「吹筆曾」 も良寛の文字です
↓ 吹筆 という 本に 吹筆の出典がでています
↑の 「吹筆」は 日本の美 平仮名・万葉がな手本 となっています
筆者 福地桂玉
会員稽古作品(五) [書道]
かな書を楽しむ (俳句を作品に) [書道]
市の講座 かな書を楽しむ 俳句を書く
最終回は 書いた俳句を家で飾れるように ミニ作品に仕上げました
↓ は参考作品
100円ショップで買ったランチョンマットに
写真用 アルバムを一枚にして
いただいた お軸などの表具した残りの端切に
市販の出来上がった お軸に
お中元にいただいた 素麺 の箱 軸の端切れ
東急ハンズのようなところで売っている小さな額に
参加された方々それぞれに工夫されたユニークな作品に仕上がりました
かな書を楽しむ 俳句を短冊に [書道]
市の生涯学習の講座
かな書を楽しむ
今回は 俳句を短冊に書く稽古でした
↑ 参考作品
↓ は 大きくして
↑の右端は
良寛の住まいである五合庵跡に建つ句碑の全文は
堂久保登盤 閑勢閑毛天久留 於知者可難
焚くほどは風がもて来る落葉かな
右から二番目は
小林一茶の『七番日記』の文化十二年(1815年)の項にある
焚くほどは風がくれたる落葉かな
芭蕉句
秋深き隣は何をする人ぞ
白露もこぼさぬ萩のうねり哉
物いへば唇寒し秋の風
菊の香や奈良には古き仏たち
蕪村句
山は暮て野は黄昏の薄哉
やすやすと出ていざよふ月の雲
涼しさや鐘をはなるるかねの声
秋風のうごかしてゆく案山子哉
良寛句
うらを見せ表をみせてちる紅葉
子規句
けさりんと体のしまりや秋の立つ
飯田蛇笏句
をりとりてはらりとおもきすすきかな
短冊は
和歌や俳句 絵などを書く
タテ36・2 幅6・06センチ (懐紙の タテ8分の一)の大きさ
鳥の子 白紙の画箋 金銀 砂子 箔などちらした料紙など
起源は古く日本書紀には短籍と記されているものがあり
枕草子 には
「これはなにの御短冊にか侍らむ ・・・・」とあり
現代のような形の短冊ではなく 大きさや形は違っていたようです
現代の短冊は
兼好法師の短冊などが残っていることから
室町時代のころからではないかといわれています
また藤原(二条)為世( 定家の曾孫)と 頓阿法師らが申し合わせてつくったとも
いわれ
色紙より短冊は約150年遅れて作られたといわれています
かな書を楽しむ (俳句を書く) [書道]
市の生涯学習講座 「かな書を楽しむ」 今回は 俳句を書く稽古でした
1回目は 半紙に好きな俳句 自分の俳句を 書く稽古をし
2回目は 色紙に書く稽古をしました
↑ は 市販の練習用色紙や 手製の色紙に
芭蕉 蕪村 一茶 子規 などの有名な俳句を書いた 見本作品
受講者の方は 初心者から経験者まで 俳句を趣味とされる方 多く
上手に書くというより その方の個性を大事に ゆっくりと丁寧に
また読み易く 原文どうりを目標に 約2時間かけて 仕上げました
↓ は 見本作品を 拡大
菜の花や月は東に日は西に 蕪村
蠶(蚕そら)豆の花に追はれて更衣(ころもがへ) 一茶
古池や蛙飛こむ水の音 芭蕉
古池に水草の花さかりなり 子規
閑さや岩にしみいる蝉の聲(声) 芭蕉
大原や蝶の出て舞ふ朧月 内藤丈草
蓮の花少し曲るも浮世哉 一茶
あの月(月の文字は 写真の月を文字にみたてて)を取ってくれろと泣く子哉 一茶
(和歌の一文字か二文字を絵など表現しわざわざ文字を省略した古筆を参考に)
銀座では 第32回 日本詩文書作家協会書展が 開催されていました
今回は 俳句と書の世界 として たくさんの書家の俳句作品
俳人の書は 現代俳人の作家が 色紙に書かれた俳句が展示されていました
同じような書風の作品の多い書家作品とは違って
俳人の書は それぞれお人柄を想像する楽しみのある作品多く
ご自分の俳句作品を大事にされて書かれている作品
あっさりとさらりと書かれている作品 など
俳句の鑑賞とともに書に興味深く拝見させていただきました
かな書を楽しむ (百人一首のカルタをつくろう) [書道]
市の生涯学習において
「百人一首のカルタをつくろう」の講座 がひらかれました
・1回目は 最初は葉書大の大きさに百人一首 一首書く練習
・2回目には カルタ大のコピー用紙2枚に 一首を書く稽古
・3回目は 市販の カルタ大の練習紙に1枚に一首を書く
・4回目には清書 作品に仕上げる
という講座でした
4回目には もうお家で
・百首を書いて3冊のアルバムに貼って来た人
・市販の小さな書道用和紙の帖に 数十首を貼って仕上げてきた人
・手作りの帖や 小さなお軸に貼って来た人
・書道用の額とは違ったいろいろに工夫された額に入れてきた人
それらの作品を参考にしながら 4回目には受講者皆さん楽しく作品に
仕上げることができました
カルタに書くだけでなく書いたカルタを お部屋などに飾るような作品に
できあがりとても楽しい時間でした
本来なら一年くらい稽古をしてから作品も業者に頼んでできあがるところ
4回8時間で個性豊かなそれぞれ違った作品に仕上がったこと
とても良かったと思います
ただ自分たちの書いた百人一首カルタ でカルタ取りをしたかったのですが
それができなかった事は残念です
↓ 仕上がった 作品
これらの作品をみながら感想を話し合いました
↓ は 1回目から 3回目までに
参考に書かれたものや 話題の展覧会のビラなど ボードに
↑ 百人一首を和綴じ本に仕立てたのや 帖に直接書いたものなど
いろは詞華(七) [書道]
いろは詞華 あ~し まで
あ
雨にも負けず 風にも負けず・・・・ 宮澤賢治
さ
さねさし相武の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも 古事記
き
祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり
ゆ
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、
かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世の中にある人と、
栖(すみか)とまたかくのごとし方丈記
め
目に見るるを見と言ひ、心に見るるを観と言ふ
柳生新陰流「兵法家伝書」から
み
道ハ邇キニ在リ 孟子
(而ルニ コレヲ遠キニ 求ム 事ハ易キニ在り 而ルニ コレヲ難キニ 求ム)
し
浄瑠璃の名をなつかしみみゆきふるはるのやまべをひとりゆくなり
八一
いろは詞華(六) [書道]
いろは詞華 け~て まで
け
芸術は 悲しみと苦しみから生まれる ピカソ
上野の ロダンの考える人の写真を和紙に加工して
ふ
無事是好日
画仙紙に墨絵らしきを描いた 上に
こ
この道や行く人なしに秋のくれ 芭蕉句
え
蘭亭序 訓読
永和九年、歳(トシ)ハ癸丑(キチウ)ニ有リ。暮春ノ初メめ、会稽山陰ノ蘭亭ニ会ス。禊事(ケイジ)ヲ脩(ヲサ)ムルナリ。群賢(グンケン)畢(コトゴト)ク至リ、少長(セウチヤウ)咸(ミナ)集マル。此ノ地ニ、崇山(スウザン)峻領(シュンレイ)、茂林(モリン)脩竹(シウチク)有リ。又、清流(セイリウ)激湍(ゲキタン)有リテ、左右ニ暎帯(エイタイ)ス。引キテ以テ流觴(リウシヤウ)ノ曲水ト為(ナ)シ、其ノ次(ジ)ニ列坐ス。糸竹管弦ノ盛(セイ)無シト雖(イヘド)モ、一觴一詠、亦以テ幽情ヲ暢叙(チャウジョ)スルニ足ル。是ノ日ヤ、天朗(ホガ)ラカニ気清ク、恵風(ケイフウ)和暢(ワチャウ)セリ。
て
源氏物語 帚木 より
手を書きたるにも 深きことはなくて ここかしこの 点長にはしり書き そこはかとなくけしきばめるは うち見るに かどかどしくけしきだちたれど なほまことの筋をこまやかに書きえたるは うはべの筆消えてみゆれど 今ひとたび取りならべて見れば なほ実になむよりける はかなきことだにかくこそはべれ まして人の心の 時にあたりてけしきばめらむ 見る目の情をば え頼むまじく思うたまへ得てはべる
手を書きたる は 書のこと
金箔や野毛 などちらしたお料紙に
手習い歌 (その二)天地の詞 鳥啼歌ほか [書道]
手習い歌の いろいろ
・天地の歌(詞)
手習い歌の一つで すべての仮名を歌い込んだもの
歌ではないので 天地の詞(ことば)という呼び方の方が適切である
いろは歌が普及する平安後期まで手習い歌として使用されていたとか
星 空 山 川 峰 谷 雲 霧 室 苔 人 犬 上 末
黄流(ゆわ) 猿 生ふせよ 榎の枝を 馴れ居て
・ 大為爾(たいに)の歌
「たい(ゐ)に」は源為憲(?~1011年)が970年に成立させた『口遊(くちずさみ)』
に載っている字母歌である 『口遊』は為憲が、藤原為光(後に太政大臣)の長男
当時七歳だった記憶力抜群の松雄君のために暗誦用に作った
と序文には書かれています
字母は
大為尓伊天奈徒武和礼遠曾支美女須土安佐利
比由久也末之呂乃宇知恵倍留古良
毛波保世与衣不祢加計奴
と書かれていて
これを大正時代になって大矢透が五七調の歌として解読し
世に紹介したのが「たゐに」の歌である
「田居に出で菜積摘む我をぞ君召すと漁り追ひ行く
山城の打酔へる子ら藻葉ほせよえ舟繋けぬ」
・ 雨降歌
本居宣長作 1798年
「雨降れば井堰を越ゆる水分けて安く諸人下り
立ち植えし群苗その稲よ真穂に栄えぬ」
・鳥啼歌
明治三十六年に万朝報という新聞で、新しい いろは歌が募集された
通常のいろは に「ん」を含んだ四十八文字という条件で作成されたもので
一位に 坂本百次郎の歌が選ばれたものである
「鳥啼く声す夢さませ見よ明け渡る東を空色栄えて沖津辺に
帆船むれゐぬ靄の中」
(とりなくこゑすゆめさませみよあけわたるひんがしを
そらいろはえておきつへにほふねむれゐぬもやのなか)
手習い歌ではありませんが
現代の あいうえお は
明治33年(1900年)小学校令施行 ひらがなが制定されたものです
ひらがなの字源
あ 安 い 以 う 宇 え 衣 お 於
か 加 き 幾 く 久 け 計 こ 己
さ 佐 し 之 す 寸 せ 世 そ 曽
た 太 ち 知 つ 川 て 天 と 止
な 菜 に 仁 ぬ 奴 ね 祢 の 乃
は 波 ひ 比 ふ 不 へ 部 ほ 保
ま 末 み 美 む 武 め 女 も 毛
や 也 ゆ 由 よ 与
ら 良 り 利 る 留 れ 礼 ろ 呂
わ 和 ゐ 為 ゑ 恵 を 遠
これ以後 たとえば 「い」 今まで使われていた 伊 ・ 意 ・ 移 などの
文字は「変体仮名」「万葉仮名」と 呼ばれるようになりました
五十音の歌 白秋詞 の部分です
手習い歌 いろは歌など [書道]
手習い歌のなかの いろは歌について
仮名書道の稽古には
先ずは いろは歌の「い ろ は ・・・・」から大体はじめます
この「いろは四十七文字」は古い時代につくられた歌で
だれがどのようにつくられたかはわかりませんが
広辞苑によると
いろは‐うた【以呂波歌】
〓手習歌の一つ。音の異なる仮名47文字の歌から成る。「色は匂へど散りぬるを
我が世誰ぞ常ならむ有為うゐの奥山今日越えて浅き夢見じ酔ひもせず」。
涅槃ねはん経第十四聖行品の偈げ「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」
の意を和訳したものという。弘法大師の作と信じられていたが、実はその死後、
平安中期の作。色葉歌。
と書かれています
縦書きにして 書いてみました
深い意味を持った歌として また文字を覚えるためのうたでもありますが
文献上 はじめて出たといわれる
「金光明最勝王経音義のいろは歌」 が 残されています
金光明最勝王経についての音義であり
音義とは経典での字義や発音を解説するもので
音訓の読みとして仮名の一覧として使われていたそうです
文字は 万葉仮名(漢字)で書かれています
ひらがな で
カタカナ で
ひらがなの 字母の変体仮名で
このほか
・ひふみ歌
・天地(あめつち)の歌
・大為爾(たいに)の歌
・ 雨降歌
・ 鳥啼歌
など ありますが 次にします